当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
「画像検索」で別カットの画像をさがす
横長の直方体で、中空の作りである。正面と下面に画像を飾る本作は、もともと墓室の入口である墓門を構築した建材のひとつであった可能性が考えられる。 正面は上縁を龍文帯で、下縁を斜格子圏点文帯で飾る。そのあいだを正面向かって右から左へ、門闕の前で盾を持った門吏の文様(以下、持盾門吏文と呼ぶ)、鋪首文、持盾門吏文、玉璧文、持盾門吏文と連ねる。その左側に上中下ほぼ三等分された文様帯があり、さらに左端に玉璧文を飾る。上中下ほぼ三等分された文様帯のうち、上段には多重菱形文帯、中・下段には龍文帯を配する。龍文は2頭の龍を右向きに並べた構図で構成される。後方の龍が前方の龍の尾に咬みつき、前方の龍が後ろを振り向き長い舌を突き出す。背景には山か雲気を、後方の龍の首の下には宙に浮かぶ珠を表す。 下面は上下両縁を斜格子圏点文帯で飾り、そのあいだに同心菱形列点文を11個横方向に展開させる。 本作に見られる玉璧文と持盾門吏文は河南省西華県で出土した「山林騎射画像磚柱」(≪中国画像磚全集≫編輯委員会『中国画像磚全集 3 河南画像磚』四川美術出版社、2006年、56)のものに酷似する。鋪首文はやはり西華県出土の「仙人戯鳳画像磚」(同上、126)に、騎馬狩猟文は天理大学附属天理参考館所蔵の「押型人物飾柱状空塼」(天理大学・天理教道友社『ひと もの こころ 天理大学附属参考館蔵品』第1期第3巻、天理教道友社、1986年、21)に、龍文は許昌市博物館所蔵の空心塼(陳文利「許昌館蔵漢代画像空心磚探析」『文物世界』2016年第9期、図6)と扶溝県博物館所蔵の「門闕画像磚」(韓維龍・秦永軍・万章「河南扶溝発現漢代画像磚」『考古』1988年第5期、図3)にそれぞれ近い例がある。これらのことから本作は河南省西華県あるいはその近辺で前漢時代後期から後漢時代前期にかけて製作されたものと考えられる。 <川村佳男執筆, 2026>
画像のご利用について
前のページへ戻る
ページの先頭へ戻る
横長の直方体で、中空の作りである。正面と下面に画像を飾る本作は、もともと墓室の入口である墓門を構築した建材のひとつであった可能性が考えられる。
正面は上縁を龍文帯で、下縁を斜格子圏点文帯で飾る。そのあいだを正面向かって右から左へ、門闕の前で盾を持った門吏の文様(以下、持盾門吏文と呼ぶ)、鋪首文、持盾門吏文、玉璧文、持盾門吏文と連ねる。その左側に上中下ほぼ三等分された文様帯があり、さらに左端に玉璧文を飾る。上中下ほぼ三等分された文様帯のうち、上段には多重菱形文帯、中・下段には龍文帯を配する。龍文は2頭の龍を右向きに並べた構図で構成される。後方の龍が前方の龍の尾に咬みつき、前方の龍が後ろを振り向き長い舌を突き出す。背景には山か雲気を、後方の龍の首の下には宙に浮かぶ珠を表す。
下面は上下両縁を斜格子圏点文帯で飾り、そのあいだに同心菱形列点文を11個横方向に展開させる。
本作に見られる玉璧文と持盾門吏文は河南省西華県で出土した「山林騎射画像磚柱」(≪中国画像磚全集≫編輯委員会『中国画像磚全集 3 河南画像磚』四川美術出版社、2006年、56)のものに酷似する。鋪首文はやはり西華県出土の「仙人戯鳳画像磚」(同上、126)に、騎馬狩猟文は天理大学附属天理参考館所蔵の「押型人物飾柱状空塼」(天理大学・天理教道友社『ひと もの こころ 天理大学附属参考館蔵品』第1期第3巻、天理教道友社、1986年、21)に、龍文は許昌市博物館所蔵の空心塼(陳文利「許昌館蔵漢代画像空心磚探析」『文物世界』2016年第9期、図6)と扶溝県博物館所蔵の「門闕画像磚」(韓維龍・秦永軍・万章「河南扶溝発現漢代画像磚」『考古』1988年第5期、図3)にそれぞれ近い例がある。これらのことから本作は河南省西華県あるいはその近辺で前漢時代後期から後漢時代前期にかけて製作されたものと考えられる。
<川村佳男執筆, 2026>
画像のご利用について