当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
「画像検索」で別カットの画像をさがす
明治4年(1871)に当時の久留米県が政府に提出した『墳墓図考附録』を、教部省職員の桜井成能(さくらいなりよし)(1842-86)が写したもの。桜井は越後高田藩士で画家としても知られ、明治維新後は教部省・宮内省に勤めた。差し出された時期や写した人物から考えて、明治政府による皇后・皇子・皇女等の陵墓調査にかかる太政官布告を受け久留米県が提出したものの写しと想定される。久留米県が提出したものは久留米藩に仕えた国学者矢野一貞(1794-1879)が著した『陵墓図考附録』の写しと考えられる。八女市岩戸山古墳等を図入りで記述し、これらは代表的著書『筑後将士軍談』の記述に重なる。さらに桜井が書き加えた図を含む。矢野一貞が記した古墳及び出土品の記録を伝えるだけでなく、明治時代の陵墓決定過程を知る上でも貴重な史料である。 <岸本圭執筆, 2025>
画像のご利用について
収蔵品ギャラリーのトップへ戻る
ページの先頭へ戻る
明治4年(1871)に当時の久留米県が政府に提出した『墳墓図考附録』を、教部省職員の桜井成能(さくらいなりよし)(1842-86)が写したもの。桜井は越後高田藩士で画家としても知られ、明治維新後は教部省・宮内省に勤めた。差し出された時期や写した人物から考えて、明治政府による皇后・皇子・皇女等の陵墓調査にかかる太政官布告を受け久留米県が提出したものの写しと想定される。久留米県が提出したものは久留米藩に仕えた国学者矢野一貞(1794-1879)が著した『陵墓図考附録』の写しと考えられる。八女市岩戸山古墳等を図入りで記述し、これらは代表的著書『筑後将士軍談』の記述に重なる。さらに桜井が書き加えた図を含む。矢野一貞が記した古墳及び出土品の記録を伝えるだけでなく、明治時代の陵墓決定過程を知る上でも貴重な史料である。
<岸本圭執筆, 2025>
画像のご利用について