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戴明説(生没年未詳、字は道黙、号は巌犖)は、崇禎7年(1634)の進士で、後に清朝に仕えた。詩文をよくし、画は梅道人(?-1354)を学んで墨竹・山水が得意だった。書は王羲之にならったが、王鐸(1592-1652)と親交があったといい、書は王鐸の影響を受けたともいわれる。明末清初に流行した連綿趣味の流れを汲む帖学派の人物として知られる。 本品は、行書で五言律詩を揮毫したもので、王鐸風であり、文字は縦方向にのびる。康熙帝の頃、傅山(1607-1684)・王鐸らの浪漫的で豪放な連綿の行草から、董其昌(1555-1636)の書風の流行へと移り変わるが、本品はその流行の移行期にあるものと位置付けられる。 <松浦晃佑執筆, 2026>
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戴明説(生没年未詳、字は道黙、号は巌犖)は、崇禎7年(1634)の進士で、後に清朝に仕えた。詩文をよくし、画は梅道人(?-1354)を学んで墨竹・山水が得意だった。書は王羲之にならったが、王鐸(1592-1652)と親交があったといい、書は王鐸の影響を受けたともいわれる。明末清初に流行した連綿趣味の流れを汲む帖学派の人物として知られる。
本品は、行書で五言律詩を揮毫したもので、王鐸風であり、文字は縦方向にのびる。康熙帝の頃、傅山(1607-1684)・王鐸らの浪漫的で豪放な連綿の行草から、董其昌(1555-1636)の書風の流行へと移り変わるが、本品はその流行の移行期にあるものと位置付けられる。
<松浦晃佑執筆, 2026>
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