当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
「画像検索」で別カットの画像をさがす
包世臣(1775-1855、字は慎伯・慎斎・誠伯、号は倦翁。米芾に因んで書室を小倦遊閣と名付けた)は、清代屈指の書の理論書『芸舟双楫』の著者として知られる。「気満」の説を唱導し、「逆入平出」の筆法を実践した。粘着質の行草書に独自の風格を持つ。門弟には呉熙載などがいる。揚州での旅で鄧石如と出会い、その書に大きな影響を受け、鄧石如の存在を世に広めたことでも知られる。 右幅は前半に蘇軾の漢詩「西蜀楊耆二十年前見之甚貧今見之亦貧」を、後半に包世臣が跋文を揮毫したもの。左幅は前半に蘇軾の『禅喜集』巻4の「真相院釈迦舎利塔銘并序」の銘文を、後半に包世臣跋文が記される。 いずれも楷書・行書を織り交ぜているが、右幅は草書に近い行書も見られ、左幅に比べて文字がやや大きく、柔和な印象を受ける。左幅は楷書が中心で、鋭さや硬さを感じさせる。 <松浦晃佑執筆, 2026>
画像のご利用について
収蔵品ギャラリーのトップへ戻る
ページの先頭へ戻る
包世臣(1775-1855、字は慎伯・慎斎・誠伯、号は倦翁。米芾に因んで書室を小倦遊閣と名付けた)は、清代屈指の書の理論書『芸舟双楫』の著者として知られる。「気満」の説を唱導し、「逆入平出」の筆法を実践した。粘着質の行草書に独自の風格を持つ。門弟には呉熙載などがいる。揚州での旅で鄧石如と出会い、その書に大きな影響を受け、鄧石如の存在を世に広めたことでも知られる。
右幅は前半に蘇軾の漢詩「西蜀楊耆二十年前見之甚貧今見之亦貧」を、後半に包世臣が跋文を揮毫したもの。左幅は前半に蘇軾の『禅喜集』巻4の「真相院釈迦舎利塔銘并序」の銘文を、後半に包世臣跋文が記される。
いずれも楷書・行書を織り交ぜているが、右幅は草書に近い行書も見られ、左幅に比べて文字がやや大きく、柔和な印象を受ける。左幅は楷書が中心で、鋭さや硬さを感じさせる。
<松浦晃佑執筆, 2026>
画像のご利用について