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本図は文化8年(1811)に来日した通信使を饗応すべく、前年に江戸の小倉藩邸で行われた習礼時の七五三膳図である。 七五三膳とは儀式で饗される本膳料理の最高級の格式である。来日した通信使の三使(正使・副使・従事官)は、江戸城での国書交換後、式三献と七五三追膳で饗応された。饗応場所や饗応の仕方、献立形式は先例に従った。 通信使派遣に伴う日朝両国の負担を軽減するため、文化度は対馬において国書交換を行う易地聘礼となった。文化8年5月22日に日本側が通信使から国書を受領、同月26日に七五三膳饗応が行われた。いずれも対馬の桟原館で行われた。 文化度の対馬での実際の七五三膳饗応を描いた図として伝わるもののなかで、本図と「朝鮮人御饗応七五三膳部図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)は、通信使来日前年の文化7年の習礼時に作成された試行饗応図であり、かつ小倉藩が作成に携わったものである。本図と蓬左文庫本はいずれも丁寧に描写されるが、形状が異なるほか、本図に注記があるのに対し、蓬左文庫本には注記がない。本図によって、日本側がどのような膳を饗しようとしていたか、より具体的に把握できる。 <松浦晃佑執筆, 2025>
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本図は文化8年(1811)に来日した通信使を饗応すべく、前年に江戸の小倉藩邸で行われた習礼時の七五三膳図である。
七五三膳とは儀式で饗される本膳料理の最高級の格式である。来日した通信使の三使(正使・副使・従事官)は、江戸城での国書交換後、式三献と七五三追膳で饗応された。饗応場所や饗応の仕方、献立形式は先例に従った。
通信使派遣に伴う日朝両国の負担を軽減するため、文化度は対馬において国書交換を行う易地聘礼となった。文化8年5月22日に日本側が通信使から国書を受領、同月26日に七五三膳饗応が行われた。いずれも対馬の桟原館で行われた。
文化度の対馬での実際の七五三膳饗応を描いた図として伝わるもののなかで、本図と「朝鮮人御饗応七五三膳部図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)は、通信使来日前年の文化7年の習礼時に作成された試行饗応図であり、かつ小倉藩が作成に携わったものである。本図と蓬左文庫本はいずれも丁寧に描写されるが、形状が異なるほか、本図に注記があるのに対し、蓬左文庫本には注記がない。本図によって、日本側がどのような膳を饗しようとしていたか、より具体的に把握できる。
<松浦晃佑執筆, 2025>
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