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高麗時代(918-1392)の10世紀中頃、中国の青磁に憧れて、朝鮮半島でも青磁の生産が開始された。当時、喫茶の風習も伝わり、宮中行事に取り入れられるなど流行していたため、開窯当初より喫茶碗を生産した。やがて碗と托の組合せが作られるようになり、形状も喫茶用と飲酒用の2種が展開された。喫茶用は碗が大きく、托座も碗状であるが、本作品のように碗が小さく、托座が平らな形状は飲酒用である。 本作品は、坏・托ともに稜花形に作り、坏は外面には花文を、見込中央には菊花文を線彫りであらわし、托は中央部に托座を作り、座周りには葉形の連弁文を巡らし、座に美しい菊花文をあらわす。托座を囲むように溝に魚藻文を巡らしている。 <酒井田千明執筆, 2024>
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高麗時代(918-1392)の10世紀中頃、中国の青磁に憧れて、朝鮮半島でも青磁の生産が開始された。当時、喫茶の風習も伝わり、宮中行事に取り入れられるなど流行していたため、開窯当初より喫茶碗を生産した。やがて碗と托の組合せが作られるようになり、形状も喫茶用と飲酒用の2種が展開された。喫茶用は碗が大きく、托座も碗状であるが、本作品のように碗が小さく、托座が平らな形状は飲酒用である。
本作品は、坏・托ともに稜花形に作り、坏は外面には花文を、見込中央には菊花文を線彫りであらわし、托は中央部に托座を作り、座周りには葉形の連弁文を巡らし、座に美しい菊花文をあらわす。托座を囲むように溝に魚藻文を巡らしている。
<酒井田千明執筆, 2024>
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