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対馬で作られた鐔である。対馬は鎌倉時代以来、宗氏が統治した島であり、城下町と武家文化が育まれた。そのため、島内には刀鍛冶や鉄砲鍛冶のほか、刀装具制作に携わる工人も少なからず居住していた。例えば刀工としては寛永7年(1630)「本州島主義成命冶工作以奉献納神殿伏垂霊鑑/惟時寛永庚午二月吉日対州住長幸造」の銘がある長幸の作(長崎県指定文化財、長崎県所蔵)や藤原清俊による作例があり、鐔工としては大宮安明の名が銘鑑などで知られているが、正久についてはこれが初出である。本品の本歌となったのは、「越前住記内作」の銘で知られる葵葉透かしの入った越前鐔とみられる。意匠化したフタバアオイを茎孔の上下に表裏一葉ずつ配するこの透かし鐔は越前鐔を代表するもので、江戸時代に数多く制作され、かつ各地で流行・模倣された。本品もそうした一例と考えられる。 <望月規史執筆, 2024>
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対馬で作られた鐔である。対馬は鎌倉時代以来、宗氏が統治した島であり、城下町と武家文化が育まれた。そのため、島内には刀鍛冶や鉄砲鍛冶のほか、刀装具制作に携わる工人も少なからず居住していた。例えば刀工としては寛永7年(1630)「本州島主義成命冶工作以奉献納神殿伏垂霊鑑/惟時寛永庚午二月吉日対州住長幸造」の銘がある長幸の作(長崎県指定文化財、長崎県所蔵)や藤原清俊による作例があり、鐔工としては大宮安明の名が銘鑑などで知られているが、正久についてはこれが初出である。本品の本歌となったのは、「越前住記内作」の銘で知られる葵葉透かしの入った越前鐔とみられる。意匠化したフタバアオイを茎孔の上下に表裏一葉ずつ配するこの透かし鐔は越前鐔を代表するもので、江戸時代に数多く制作され、かつ各地で流行・模倣された。本品もそうした一例と考えられる。
<望月規史執筆, 2024>
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