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本品の作者である正行は、平戸藩工であった土肥真了の弟子筋ともいわれ、肥前唐津から壱岐に移住し、勝本浦で作刀を行った刀工である。本品の銘にある「月刕山」は、苗字「脇山」の初字を分かち書きした雅名であり、長崎・聖母宮に伝来する文化8年(1811)銘の正行の刀(壱岐市指定文化財、銘壹岐國住月刕山正行/文化八ノ年二月日)でも同様の銘切がなされる。鐔の制作に刀工が携わることはしばしばあり、土肥真了に代表される平戸藩の刀工や、佐賀藩の忠吉一門のなかにも本品と同様の鉄鐔の作例がまま見られる。本品は、正行が制作した鐔のなかで現存が確認できる唯一の作として極めて貴重である。 <望月規史執筆, 2024>
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本品の作者である正行は、平戸藩工であった土肥真了の弟子筋ともいわれ、肥前唐津から壱岐に移住し、勝本浦で作刀を行った刀工である。本品の銘にある「月刕山」は、苗字「脇山」の初字を分かち書きした雅名であり、長崎・聖母宮に伝来する文化8年(1811)銘の正行の刀(壱岐市指定文化財、銘壹岐國住月刕山正行/文化八ノ年二月日)でも同様の銘切がなされる。鐔の制作に刀工が携わることはしばしばあり、土肥真了に代表される平戸藩の刀工や、佐賀藩の忠吉一門のなかにも本品と同様の鉄鐔の作例がまま見られる。本品は、正行が制作した鐔のなかで現存が確認できる唯一の作として極めて貴重である。
<望月規史執筆, 2024>
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