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霊元天皇以下、計17名の和歌短冊。霊元天皇(1654-1732、在位1663-87)は、有職故実に通じ、文芸の才能に恵まれ、特に歌道に造詣が深く、生涯に詠んだ歌は6千首を超えるともいわれる。父・後水尾天皇や兄・後西天皇の穏やかな書風とは異なり、霊元天皇の書風は力強さと大らかさが特徴である。霊元天皇の書流は、第17皇子・職仁(よりひと)親王(有栖川宮)へと伝授され、有栖川流として現在まで継承されている。 本品の霊元天皇短冊の和歌は、延宝4年(1676)8月24日の月次和歌御会での和歌であることが他の史料からわかるものの、17世紀の御会和歌書留集(『近代和歌御会集』(宮内庁書陵部蔵)や『近代御会和歌』(国立公文書館蔵)、『近代御会和歌集』(国立公文書館蔵))には、この御会について記載がなく、参加者数や詠まれた和歌については不明である。 また、本品の短冊全点が8月24日の月次和歌御会のものではない。判明するもののうち、橋本公綱・日野西国豊・四辻季輔の短冊は、他の御会のものである。橋本公綱の短冊は生前(延宝2年以前)の御会の時のものである。また、日野西国豊の和歌と四辻季輔の和歌は延宝2年10月24日の月次御会のものである。その他の短冊については、いつの御会のものであるか不明である。 短冊は詠者の自筆であり、また1枚だけでも鑑賞することができるために珍重され、江戸時代に収集が行われた。短冊を綴じていた水引が切られたことで短冊が離散し、失われたもの、あるいは残されたとしても、1枚しか残らないために詠作背景のわからないものが多い。本品は同一の御会ではないものの、霊元天皇と霊元期の公卿らの短冊を取り合わせ、1帖に仕立てたものである。
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霊元天皇以下、計17名の和歌短冊。霊元天皇(1654-1732、在位1663-87)は、有職故実に通じ、文芸の才能に恵まれ、特に歌道に造詣が深く、生涯に詠んだ歌は6千首を超えるともいわれる。父・後水尾天皇や兄・後西天皇の穏やかな書風とは異なり、霊元天皇の書風は力強さと大らかさが特徴である。霊元天皇の書流は、第17皇子・職仁(よりひと)親王(有栖川宮)へと伝授され、有栖川流として現在まで継承されている。
本品の霊元天皇短冊の和歌は、延宝4年(1676)8月24日の月次和歌御会での和歌であることが他の史料からわかるものの、17世紀の御会和歌書留集(『近代和歌御会集』(宮内庁書陵部蔵)や『近代御会和歌』(国立公文書館蔵)、『近代御会和歌集』(国立公文書館蔵))には、この御会について記載がなく、参加者数や詠まれた和歌については不明である。
また、本品の短冊全点が8月24日の月次和歌御会のものではない。判明するもののうち、橋本公綱・日野西国豊・四辻季輔の短冊は、他の御会のものである。橋本公綱の短冊は生前(延宝2年以前)の御会の時のものである。また、日野西国豊の和歌と四辻季輔の和歌は延宝2年10月24日の月次御会のものである。その他の短冊については、いつの御会のものであるか不明である。
短冊は詠者の自筆であり、また1枚だけでも鑑賞することができるために珍重され、江戸時代に収集が行われた。短冊を綴じていた水引が切られたことで短冊が離散し、失われたもの、あるいは残されたとしても、1枚しか残らないために詠作背景のわからないものが多い。本品は同一の御会ではないものの、霊元天皇と霊元期の公卿らの短冊を取り合わせ、1帖に仕立てたものである。
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