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本品は、仏教天文学の祖と呼ばれた天台宗の僧侶、普門円通(1754-1834)が、「須弥山説」を分かりやすく示すための模型、須弥山儀を描かせた絵図である。 須弥山(しゅみせん)は、仏教的世界の中心にそびえ立つ山の名である。四天王や帝釈天が住むというこの山を囲んで世界が平面に広がり、大地の周りを太陽や星が巡る、古代インドの仏教的な世界観・宇宙観を須弥山説と呼ぶ。 日本では、こうした伝統的な世界観が江戸時代を通じて存続する一方、江戸時代後期にはヨーロッパ製の世界図が広まった。西洋科学を学んだ儒者による仏教思想への批判が高まると、人びとの信仰が離れることを恐れた円通は、地球儀に対抗した須弥山儀や、本品のような木版多色刷の絵図を作らせて、須弥山説の普及に尽力した。近世後期における日本人の世界観や世界認識の変遷を知るための適例の資料である。
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本品は、仏教天文学の祖と呼ばれた天台宗の僧侶、普門円通(1754-1834)が、「須弥山説」を分かりやすく示すための模型、須弥山儀を描かせた絵図である。
須弥山(しゅみせん)は、仏教的世界の中心にそびえ立つ山の名である。四天王や帝釈天が住むというこの山を囲んで世界が平面に広がり、大地の周りを太陽や星が巡る、古代インドの仏教的な世界観・宇宙観を須弥山説と呼ぶ。
日本では、こうした伝統的な世界観が江戸時代を通じて存続する一方、江戸時代後期にはヨーロッパ製の世界図が広まった。西洋科学を学んだ儒者による仏教思想への批判が高まると、人びとの信仰が離れることを恐れた円通は、地球儀に対抗した須弥山儀や、本品のような木版多色刷の絵図を作らせて、須弥山説の普及に尽力した。近世後期における日本人の世界観や世界認識の変遷を知るための適例の資料である。
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