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小烏丸造、丸棟。表裏ともに薙刀樋に長い添樋を掻き流す。鍛は柾がかり、刃文は直刃、匂出来。茎は生で先栗尻、鑢目は化粧に仕上げ、目釘孔1つ開く。茎表に「天保十四年 氷心子秀世」の年紀と刀工銘、茎裏に「小烏丸模」を刻む。氷心子秀世は、新々刀の祖と言われる江戸時代後期の刀工、水心子正秀(天秀、1750-1825)に師事した。門弟百人と称された数多の正秀の弟子中にあって、師に作行がとりわけ近く、正秀の晩年には数多くの代作を行ったと言われる。本品の本歌は古来天国作とされる平安時代の無銘太刀で、平貞盛が藤原純友征討の功で賜り、その後平家の重宝として伝来したと言われる。江戸時代には有職故実の伊勢家が所持し、明治時代に対馬宗家が求めて明治天皇に献上し、御物として今に伝わる。
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小烏丸造、丸棟。表裏ともに薙刀樋に長い添樋を掻き流す。鍛は柾がかり、刃文は直刃、匂出来。茎は生で先栗尻、鑢目は化粧に仕上げ、目釘孔1つ開く。茎表に「天保十四年 氷心子秀世」の年紀と刀工銘、茎裏に「小烏丸模」を刻む。氷心子秀世は、新々刀の祖と言われる江戸時代後期の刀工、水心子正秀(天秀、1750-1825)に師事した。門弟百人と称された数多の正秀の弟子中にあって、師に作行がとりわけ近く、正秀の晩年には数多くの代作を行ったと言われる。本品の本歌は古来天国作とされる平安時代の無銘太刀で、平貞盛が藤原純友征討の功で賜り、その後平家の重宝として伝来したと言われる。江戸時代には有職故実の伊勢家が所持し、明治時代に対馬宗家が求めて明治天皇に献上し、御物として今に伝わる。
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