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中国・遼代の墳墓から出土したと思われる錦裂。本品の身の文様である鳥と花文様による七宝繋ぎ文様は、唐に産したと考えられる正倉院宝物伝来の8世紀の複様三枚綾組織緯錦(いわゆる奈良様緯錦・標準斜紋緯錦)にも類似の文様が見られる。また鎌倉時代以降、有職文様として衣類や屏風の裏などに多用される鳥襷文様は、本品や、遡っては上記正倉院錦のような舶載錦の文様が整理され成立したものと考えられる。一方、12世紀の神護寺経帙裂には、本品に類似する文様構成の準複様三枚綾組織緯錦(いわゆる平安様緯錦・遼式斜紋緯錦)が含まれる。神護寺経帙錦の七宝が重なる部分には獅子と思われる獣が配されるという違いはあるものの、平安期に本品の類型の錦が日本に伝えられていたことがわかる。これらの作例から、8世紀の鳥襷形式の文様をもつ中国錦が、9世紀以降も類似の文様が継続して製織され、それらが平安期の日本にもたらされて有職文様へ発展するという流れが確認される。この流れを確認するには本資料の存在が不可欠であり、貴重な遺例である。
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中国・遼代の墳墓から出土したと思われる錦裂。本品の身の文様である鳥と花文様による七宝繋ぎ文様は、唐に産したと考えられる正倉院宝物伝来の8世紀の複様三枚綾組織緯錦(いわゆる奈良様緯錦・標準斜紋緯錦)にも類似の文様が見られる。また鎌倉時代以降、有職文様として衣類や屏風の裏などに多用される鳥襷文様は、本品や、遡っては上記正倉院錦のような舶載錦の文様が整理され成立したものと考えられる。一方、12世紀の神護寺経帙裂には、本品に類似する文様構成の準複様三枚綾組織緯錦(いわゆる平安様緯錦・遼式斜紋緯錦)が含まれる。神護寺経帙錦の七宝が重なる部分には獅子と思われる獣が配されるという違いはあるものの、平安期に本品の類型の錦が日本に伝えられていたことがわかる。これらの作例から、8世紀の鳥襷形式の文様をもつ中国錦が、9世紀以降も類似の文様が継続して製織され、それらが平安期の日本にもたらされて有職文様へ発展するという流れが確認される。この流れを確認するには本資料の存在が不可欠であり、貴重な遺例である。
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