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本品は、「慶長の役」時、日本軍と明・朝鮮連合軍との間で行われた蔚山城合戦を描いたもの。現存する屏風装の蔚山城合戦図のうち、江戸時代後半に制作された最古級かつ高い完成度を誇る写本であり、現存しない原図の作風を留めるものとして、重要な作例である。 原図は江戸時代初めに6曲2双(4隻)で製作されたものであったが、早くに1隻失われたようである。17世紀後半、残った3隻を、鍋島家と姻戚関係のあった深溝松平家(島原藩主)が模写(存否不明)した。その後、原図は安政2年(1855)に佐賀藩江戸屋敷から国許に移され、安政4年(1857)に表装替えを行う際に、古川松根(1813-71)・村島雪川(生没年未詳)・伊藤春洋(生没年未詳)という3人の絵師によって副本が制作された。この頃に、「朝鮮蔚山攻城図」(佐賀県立図書館所蔵、蓮池鍋島家旧蔵)も制作されたと考えられている。原図と副本が佐賀の乱で焼失したため、明治19年(1886)に島原本をもとに、4つの写本(鍋島報效会所蔵品、福岡市博物館所蔵品、宮内省献納品(存否不明)、細川侯爵家所蔵品(存否不明))が制作された。 本品は蓮池鍋島家旧蔵本以前、あるいは同時期に、原図をもとに制作され、鍋島家の外部に存在していたものと考えられており、これまでに知られる屏風装の蔚山城合戦図のなかで、原図から写された最古級の作例である。蓮池鍋島家旧蔵品と特徴を同じくする写本であるが、蓮池本は残欠であるのに対し、本品は完品である点でも重要な作例である。 本品の制作時期から明治時代までの所有者は不明であるが、大正・昭和前期(戦前)には、旧平戸藩主・松浦伯爵家が所有していた。戦後の経緯は不明だが、「婦女遊楽図屏風」(いわゆる「松浦屏風」、奈良・大和文華館所蔵)と同様に、松浦家から流出したものと思われる。 <松浦晃佑執筆, 2024>
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本品は、「慶長の役」時、日本軍と明・朝鮮連合軍との間で行われた蔚山城合戦を描いたもの。現存する屏風装の蔚山城合戦図のうち、江戸時代後半に制作された最古級かつ高い完成度を誇る写本であり、現存しない原図の作風を留めるものとして、重要な作例である。
原図は江戸時代初めに6曲2双(4隻)で製作されたものであったが、早くに1隻失われたようである。17世紀後半、残った3隻を、鍋島家と姻戚関係のあった深溝松平家(島原藩主)が模写(存否不明)した。その後、原図は安政2年(1855)に佐賀藩江戸屋敷から国許に移され、安政4年(1857)に表装替えを行う際に、古川松根(1813-71)・村島雪川(生没年未詳)・伊藤春洋(生没年未詳)という3人の絵師によって副本が制作された。この頃に、「朝鮮蔚山攻城図」(佐賀県立図書館所蔵、蓮池鍋島家旧蔵)も制作されたと考えられている。原図と副本が佐賀の乱で焼失したため、明治19年(1886)に島原本をもとに、4つの写本(鍋島報效会所蔵品、福岡市博物館所蔵品、宮内省献納品(存否不明)、細川侯爵家所蔵品(存否不明))が制作された。
本品は蓮池鍋島家旧蔵本以前、あるいは同時期に、原図をもとに制作され、鍋島家の外部に存在していたものと考えられており、これまでに知られる屏風装の蔚山城合戦図のなかで、原図から写された最古級の作例である。蓮池鍋島家旧蔵品と特徴を同じくする写本であるが、蓮池本は残欠であるのに対し、本品は完品である点でも重要な作例である。
本品の制作時期から明治時代までの所有者は不明であるが、大正・昭和前期(戦前)には、旧平戸藩主・松浦伯爵家が所有していた。戦後の経緯は不明だが、「婦女遊楽図屏風」(いわゆる「松浦屏風」、奈良・大和文華館所蔵)と同様に、松浦家から流出したものと思われる。
<松浦晃佑執筆, 2024>
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