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凌煙閣功臣図は、貞観17年(643)に唐太宗が閻立本に命じて宮中の凌煙閣に描かせた功臣24人の肖像壁画に由来する。本書は、康熙8年(1669)に蘇州で出版された劉源画『凌煙閣図』(紅葉山文庫旧蔵本・内閣文庫所蔵ほか)を、文化元年(1804)に谷文晁(1763~1840)が復刻した和刻本である。劉源本と比較すると、人物賛や観音大士、関羽像が省略され、功臣の順番も異なる。また、劉源本の蕭震、佟彭季、沈白、袁ホウ〔金+方〕4人の序文が市河寛斎の序文に差し替えられ、沈南蘋の跋文と文晁自身の識語が加えられている。南蘋の跋については日本における偽作とする説がある一方で、陳洪綬の功臣像画冊(個人蔵)にある南蘋の跋との関係が指摘されている。
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凌煙閣功臣図は、貞観17年(643)に唐太宗が閻立本に命じて宮中の凌煙閣に描かせた功臣24人の肖像壁画に由来する。本書は、康熙8年(1669)に蘇州で出版された劉源画『凌煙閣図』(紅葉山文庫旧蔵本・内閣文庫所蔵ほか)を、文化元年(1804)に谷文晁(1763~1840)が復刻した和刻本である。劉源本と比較すると、人物賛や観音大士、関羽像が省略され、功臣の順番も異なる。また、劉源本の蕭震、佟彭季、沈白、袁ホウ〔金+方〕4人の序文が市河寛斎の序文に差し替えられ、沈南蘋の跋文と文晁自身の識語が加えられている。南蘋の跋については日本における偽作とする説がある一方で、陳洪綬の功臣像画冊(個人蔵)にある南蘋の跋との関係が指摘されている。
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