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江戸幕府天文方の高橋景保(1785~1829)が製作した両半球世界図。文化4年(1807)に世界地図作成の幕命を受けた景保は、アロースミスの世界図を原図として、天文学者の間重富や長崎通詞の馬場貞由の協力を得て、文化7年(1810)に手書きの「新訂万国全図」を完成させた。それを東アジア一帯について改訂し、銅版画家・亜欧堂田善による銅版彫刻をもって、文化13年(1816)に印刷刊行したのが本図である。 本図では日本を基準に「西半球」・「東半球」の名称を定め、図上でも日本を中心として左に「西半球」、右に「東半球」を配している。また図左上の副図は、京都を零度とする子午線を通した日本中心の半球図とするなど、翻訳版ではない日本製官版としての独自性がみられる。
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江戸幕府天文方の高橋景保(1785~1829)が製作した両半球世界図。文化4年(1807)に世界地図作成の幕命を受けた景保は、アロースミスの世界図を原図として、天文学者の間重富や長崎通詞の馬場貞由の協力を得て、文化7年(1810)に手書きの「新訂万国全図」を完成させた。それを東アジア一帯について改訂し、銅版画家・亜欧堂田善による銅版彫刻をもって、文化13年(1816)に印刷刊行したのが本図である。
本図では日本を基準に「西半球」・「東半球」の名称を定め、図上でも日本を中心として左に「西半球」、右に「東半球」を配している。また図左上の副図は、京都を零度とする子午線を通した日本中心の半球図とするなど、翻訳版ではない日本製官版としての独自性がみられる。
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