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嘉永6年(1853)と翌安政元年(1854)に、ペリー率いるアメリカ艦隊が来航した際の、警固の陣形図や応接所の図、アメリカ船の設備、積まれていた武器や楽器、工具・道具類、アメリカ軍服などを描いた絵図。巻末の識語によれば、本作品は山脇正準が「横栗」の両浜で見聞したことを、安政3年(1856)の仲春(2月)下旬に乙部次義が模写したとある。「横栗」の両浜とは横浜と久里浜で、嘉永6年時は久里浜に、翌安政元年時は横浜に応接所が設けられている。乙部次義は、山脇の門下生である可能性があるが、詳細は不明である。幕末の日本人が、アメリカ艦隊をどのように観察し、何に興味を示したかを窺い知ることができる作品である。
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嘉永6年(1853)と翌安政元年(1854)に、ペリー率いるアメリカ艦隊が来航した際の、警固の陣形図や応接所の図、アメリカ船の設備、積まれていた武器や楽器、工具・道具類、アメリカ軍服などを描いた絵図。巻末の識語によれば、本作品は山脇正準が「横栗」の両浜で見聞したことを、安政3年(1856)の仲春(2月)下旬に乙部次義が模写したとある。「横栗」の両浜とは横浜と久里浜で、嘉永6年時は久里浜に、翌安政元年時は横浜に応接所が設けられている。乙部次義は、山脇の門下生である可能性があるが、詳細は不明である。幕末の日本人が、アメリカ艦隊をどのように観察し、何に興味を示したかを窺い知ることができる作品である。
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