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愚中周及は、暦応3(1340)年、天龍寺(てんりゅうじ)造営船に乗って入元し、即休契了(しっきゅうけいりょう)らに参禅して得悟した。帰国後に愚中派を興し、貞治4(1365)年に丹波天寧寺(てんねいじ)を開創。応永14(1407)年、師に深く帰依した4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)より紫衣を与えられた。 本作品は、天寧寺住持の愚中が、年来の友人であった挺公(ていこう)に宛てたもので、挺公が臨済僧・無文元選(むもんげんせん)の会下で修行を積み、「松巌」の字のごとく、確固たる人物であることを讃えた歌と序文に記している。
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愚中周及は、暦応3(1340)年、天龍寺(てんりゅうじ)造営船に乗って入元し、即休契了(しっきゅうけいりょう)らに参禅して得悟した。帰国後に愚中派を興し、貞治4(1365)年に丹波天寧寺(てんねいじ)を開創。応永14(1407)年、師に深く帰依した4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)より紫衣を与えられた。
本作品は、天寧寺住持の愚中が、年来の友人であった挺公(ていこう)に宛てたもので、挺公が臨済僧・無文元選(むもんげんせん)の会下で修行を積み、「松巌」の字のごとく、確固たる人物であることを讃えた歌と序文に記している。
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