当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
「画像検索」で別カットの画像をさがす
呉熙載(1799-1870。もとの名は廷颺、字は熙載だったが、50歳以後は熙載を名とし、字を譲之とした。さらに64歳以後、譲之を名とした。号は言庵・方竹丈人・晩学居士・譲翁、堂号は師慎軒・珍賀軒・震天咎斎)は、清代後期の篆刻家・書家。包世臣の弟子で、篆刻と書を学んだ。包世臣は篆隷は自分では勉強しなかったが、呉熙載は特に篆隷に力を入れた。謹厳な文字構造と繊細な筆致に特色がある。 識語によれば、本品は咸豊6年(1856)4月に呉熙載が揮毫したものである。同治6年(1867)に「崔子玉座右銘」を篆書で揮毫したものが知られている(「篆書崔子玉座右銘四屏」、公益財団法人日本習字教育財団観峰観所蔵)。本品と同様、優美で柔らかな書風を展開する。 <松浦晃佑執筆, 2026>
画像のご利用について
収蔵品ギャラリーのトップへ戻る
ページの先頭へ戻る
呉熙載(1799-1870。もとの名は廷颺、字は熙載だったが、50歳以後は熙載を名とし、字を譲之とした。さらに64歳以後、譲之を名とした。号は言庵・方竹丈人・晩学居士・譲翁、堂号は師慎軒・珍賀軒・震天咎斎)は、清代後期の篆刻家・書家。包世臣の弟子で、篆刻と書を学んだ。包世臣は篆隷は自分では勉強しなかったが、呉熙載は特に篆隷に力を入れた。謹厳な文字構造と繊細な筆致に特色がある。
識語によれば、本品は咸豊6年(1856)4月に呉熙載が揮毫したものである。同治6年(1867)に「崔子玉座右銘」を篆書で揮毫したものが知られている(「篆書崔子玉座右銘四屏」、公益財団法人日本習字教育財団観峰観所蔵)。本品と同様、優美で柔らかな書風を展開する。
<松浦晃佑執筆, 2026>
画像のご利用について