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安土桃山時代以降、摂津国には山城国をはじめ他国から数多くの刀工が来住した。彼らは上方の大消費地となった大坂を拠点に作刀を行い、反浅く精緻な地鉄と大模様で華やかな刃文が特徴的な作風を生み出した。のちに大坂新刀と呼ばれることになるこの時期、多くの名工が登場し、各地の刀工に影響を与えた。このうち助広は、日向国飫肥城主の伊東家家臣で後に京都堀川で作刀し多くの弟子を育てたことで知られる国広の門下筋にあたる。本品は、小沸よく付いた乱刃と併せ、茎の表裏とも草書体のいわゆる丸津田銘となり、かつ裏銘の切り出しが表よりも高くなる点などから、本工の延宝期の作例の特徴をおおむね備える。但し、茎には化粧鑢が見られず、銘の鏨づかいが異例である。 <望月規史執筆, 2024>
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安土桃山時代以降、摂津国には山城国をはじめ他国から数多くの刀工が来住した。彼らは上方の大消費地となった大坂を拠点に作刀を行い、反浅く精緻な地鉄と大模様で華やかな刃文が特徴的な作風を生み出した。のちに大坂新刀と呼ばれることになるこの時期、多くの名工が登場し、各地の刀工に影響を与えた。このうち助広は、日向国飫肥城主の伊東家家臣で後に京都堀川で作刀し多くの弟子を育てたことで知られる国広の門下筋にあたる。本品は、小沸よく付いた乱刃と併せ、茎の表裏とも草書体のいわゆる丸津田銘となり、かつ裏銘の切り出しが表よりも高くなる点などから、本工の延宝期の作例の特徴をおおむね備える。但し、茎には化粧鑢が見られず、銘の鏨づかいが異例である。
<望月規史執筆, 2024>
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