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虎徹は、近江国の長曽祢村(現 滋賀県彦根市)を拠点とした長曽祢鍛冶の流れを汲む刀工である。もとは甲冑師であったが、50歳前後で江戸に出て刀鍛冶へと転向した。以後、「最上大業物」と評されたその斬れ味とともに、沸つき引き締まった鍛え肌の素晴らしさと数珠刃に代表される斬新な刃文、さらに巧みな彫り物が高く評価され、名工の名を欲しいままにした。江戸時代中期の刀剣書『新刀弁疑』では、虎徹は堀川国広や越前康継、津田助広などと並び「上々作」に列している。虎徹は刀工となって四半世紀の間に相当数の刀剣を制作したが、本品のような薙刀の作例は非常に少なく、かつ年紀入りの作は極めて貴重である。 <望月規史執筆, 2024>
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虎徹は、近江国の長曽祢村(現 滋賀県彦根市)を拠点とした長曽祢鍛冶の流れを汲む刀工である。もとは甲冑師であったが、50歳前後で江戸に出て刀鍛冶へと転向した。以後、「最上大業物」と評されたその斬れ味とともに、沸つき引き締まった鍛え肌の素晴らしさと数珠刃に代表される斬新な刃文、さらに巧みな彫り物が高く評価され、名工の名を欲しいままにした。江戸時代中期の刀剣書『新刀弁疑』では、虎徹は堀川国広や越前康継、津田助広などと並び「上々作」に列している。虎徹は刀工となって四半世紀の間に相当数の刀剣を制作したが、本品のような薙刀の作例は非常に少なく、かつ年紀入りの作は極めて貴重である。
<望月規史執筆, 2024>
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