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硬く焼きしまった饅頭形のやきもので、中空に作る。頂部に橋梁状の小さな鈕がつき、なかに游環を通す。表面には4本の刻線をめぐらせ、刻線で区画された2条の文様帯のなかに水波文を充填する。平らな底面には大きな孔が開き、孔の周囲には轆轤回転糸切り痕が残る。 鎮子は古代中国で敷物一般の四隅に重石として置いたと考えられている(外川潔「漢代の鎮子について」『大和文華』第95号、1996年)。鎮子が登場するのは春秋時代末頃のことであり、青銅製や玉製で饅頭形のものが曾侯乙墓や浙江省紹興市印山の越王墓から出土した。戦国時代になると硬い陶製の鎮子も登場したが、出土地は浙江省北部から江蘇省にかけての範囲に限られる(浙江省文物考古研究所『浙江越墓』科学出版社、2009年)。 陶製鎮子はいずれも饅頭形で、底面に大きな孔が開き、なかが空洞になっている。重石としては軽くて用に耐えないため、副葬専用に作られた鎮子の明器である可能性もある。しかし、本作の中空の内面には白い粘土状の物質が付着していた。仮にこれを意図的に詰めて重くさせたと考えれば、重石としての役割はあるいは果たせたのかも知れない。 <川村佳男執筆, 2025>
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硬く焼きしまった饅頭形のやきもので、中空に作る。頂部に橋梁状の小さな鈕がつき、なかに游環を通す。表面には4本の刻線をめぐらせ、刻線で区画された2条の文様帯のなかに水波文を充填する。平らな底面には大きな孔が開き、孔の周囲には轆轤回転糸切り痕が残る。
鎮子は古代中国で敷物一般の四隅に重石として置いたと考えられている(外川潔「漢代の鎮子について」『大和文華』第95号、1996年)。鎮子が登場するのは春秋時代末頃のことであり、青銅製や玉製で饅頭形のものが曾侯乙墓や浙江省紹興市印山の越王墓から出土した。戦国時代になると硬い陶製の鎮子も登場したが、出土地は浙江省北部から江蘇省にかけての範囲に限られる(浙江省文物考古研究所『浙江越墓』科学出版社、2009年)。
陶製鎮子はいずれも饅頭形で、底面に大きな孔が開き、なかが空洞になっている。重石としては軽くて用に耐えないため、副葬専用に作られた鎮子の明器である可能性もある。しかし、本作の中空の内面には白い粘土状の物質が付着していた。仮にこれを意図的に詰めて重くさせたと考えれば、重石としての役割はあるいは果たせたのかも知れない。
<川村佳男執筆, 2025>
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