当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
「画像検索」で別カットの画像をさがす
鎬造、庵棟、中鋒。鍛は板目に柾がかる。刃は小互の目を主体に片落互の目が交じる。帽子は表崩れて返り、裏湾れ込んで返る。茎は区を送り、先刃上り栗尻、鑢目浅い勝手下り。目釘孔2つ開く。指表に刀工銘「俻州長舩勝光」、指裏に年紀「永正二年八月日」を刻む。勝光は、室町時代中期から末期にかけて作刀を行った、「末備前」と総称される刀工のひとり。同時代の備前刀工のなかでも中心的な立場にあったらしく、京都・相国寺の塔頭、鹿苑院の歴代蔭涼軒主が記した日記『蔭涼軒日録』には、長享2年(1488)8月22日条また同九月廿一日条に勝光が備前から刀工たちを多数引き連れて、六角氏征伐のため近江出陣中であった室町幕府九代将軍の足利義尚(1465-1489)のために作刀を行ったことが記されている。
画像のご利用について
収蔵品ギャラリーのトップへ戻る
ページの先頭へ戻る
鎬造、庵棟、中鋒。鍛は板目に柾がかる。刃は小互の目を主体に片落互の目が交じる。帽子は表崩れて返り、裏湾れ込んで返る。茎は区を送り、先刃上り栗尻、鑢目浅い勝手下り。目釘孔2つ開く。指表に刀工銘「俻州長舩勝光」、指裏に年紀「永正二年八月日」を刻む。勝光は、室町時代中期から末期にかけて作刀を行った、「末備前」と総称される刀工のひとり。同時代の備前刀工のなかでも中心的な立場にあったらしく、京都・相国寺の塔頭、鹿苑院の歴代蔭涼軒主が記した日記『蔭涼軒日録』には、長享2年(1488)8月22日条また同九月廿一日条に勝光が備前から刀工たちを多数引き連れて、六角氏征伐のため近江出陣中であった室町幕府九代将軍の足利義尚(1465-1489)のために作刀を行ったことが記されている。
画像のご利用について