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鎬造、庵棟、中鋒やや伸びる。地鉄は約み、小沸出来、匂口しまる。刃文は焼き幅広く、丁子乱にところどころ逆足掛かり、打ちのけ、飛焼交じる。帽子は表裏ともに尖りごころに返る。茎は生で、角棟、先入山形、鑢目は鷹の羽。目釘孔1つ開く。銘は太刀銘で「肥前住藤原行満」と刻す。行満(忠大夫、?-1733)は、備前伝の丁子乱を得意とした二代行広門下とされる。いわゆる脇肥前と呼ばれる分家や脇筋の刀工達はともすれば一段低く評価されることがある。その一方で、彼らのなかには精美な直刃よりもむしろ一文字風の乱刃を得意とした者が多く、特に行広はその上手であった。行満も師の作風を十分に受け継いだとみられる。現存作品が極めて少ない行満の作風を知る上で貴重な作品である。
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鎬造、庵棟、中鋒やや伸びる。地鉄は約み、小沸出来、匂口しまる。刃文は焼き幅広く、丁子乱にところどころ逆足掛かり、打ちのけ、飛焼交じる。帽子は表裏ともに尖りごころに返る。茎は生で、角棟、先入山形、鑢目は鷹の羽。目釘孔1つ開く。銘は太刀銘で「肥前住藤原行満」と刻す。行満(忠大夫、?-1733)は、備前伝の丁子乱を得意とした二代行広門下とされる。いわゆる脇肥前と呼ばれる分家や脇筋の刀工達はともすれば一段低く評価されることがある。その一方で、彼らのなかには精美な直刃よりもむしろ一文字風の乱刃を得意とした者が多く、特に行広はその上手であった。行満も師の作風を十分に受け継いだとみられる。現存作品が極めて少ない行満の作風を知る上で貴重な作品である。
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