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裾の広い袴を着た半裸の男性を象っている。作りは中空で、前後の型から起こした二つの粘土のパーツを貼り合わせて成形している。焼成後に彩色を施していたが、大部分が剥落しており、白の下地のみが残る。 中国ではさまざまな役割の人物や家畜を「俑」という像にして墓に副葬することで、被葬者の死後の暮らしが満ち足りたものになるように願った。この半裸像は滑稽なしぐさと表情をみせていることから、後漢時代に「説唱」と呼ばれた芸人の類を象ったものと考えられる。説唱俑は雑技を披露する百戯俑、舞踏俑などとセットで、前漢時代後期から墓に副葬されはじめ、後漢時代に流行した(胡国強「洛陽地区東漢宴楽俑探析」『故宮博物院院刊』2002年第1期)。本作と同じくらいの大きさや、姿形の加彩説唱俑は、河南省の洛陽市、済源市の後漢墓で類例が多く見つかっている。 <川村佳男執筆, 2025>
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裾の広い袴を着た半裸の男性を象っている。作りは中空で、前後の型から起こした二つの粘土のパーツを貼り合わせて成形している。焼成後に彩色を施していたが、大部分が剥落しており、白の下地のみが残る。
中国ではさまざまな役割の人物や家畜を「俑」という像にして墓に副葬することで、被葬者の死後の暮らしが満ち足りたものになるように願った。この半裸像は滑稽なしぐさと表情をみせていることから、後漢時代に「説唱」と呼ばれた芸人の類を象ったものと考えられる。説唱俑は雑技を披露する百戯俑、舞踏俑などとセットで、前漢時代後期から墓に副葬されはじめ、後漢時代に流行した(胡国強「洛陽地区東漢宴楽俑探析」『故宮博物院院刊』2002年第1期)。本作と同じくらいの大きさや、姿形の加彩説唱俑は、河南省の洛陽市、済源市の後漢墓で類例が多く見つかっている。
<川村佳男執筆, 2025>
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