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鎬造、庵棟、中鋒やや伸びる。鎬高く反りやや深くつき、身幅広く重ね厚い。鍛は小板目 肌よく約み、地沸厚くつき、地景細かく入る。刃文は湾れに互の目交じり、匂口深く沸厚くつく。砂流し、金筋かかる。帽子は浅く乱れ、表は小丸に 返り、裏は焼詰める。茎は生、尻は先細って入山形、鑢目勝手上がり、目釘孔1つ開く。表裏ともに鎬筋を中心に楷書体に銘を刻む。正幸(1733-1818)は、通称伊地知次右衛門、安永元年(1772)より作刀を始め、初銘 は祖父・父と同様正良と称し、薩摩藩のお抱え工となった。寛政元年(1789)には伯耆守を受領し、正良の名 を嫡男に譲り、自らは正幸と改銘した。平肉豊かにつき、地刃、茎ともに健全で、正幸の代表的な作品として評価しうる。薩摩藩を代表する刀工の円熟期の在銘作である。薩摩藩主島津家伝来。
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鎬造、庵棟、中鋒やや伸びる。鎬高く反りやや深くつき、身幅広く重ね厚い。鍛は小板目 肌よく約み、地沸厚くつき、地景細かく入る。刃文は湾れに互の目交じり、匂口深く沸厚くつく。砂流し、金筋かかる。帽子は浅く乱れ、表は小丸に 返り、裏は焼詰める。茎は生、尻は先細って入山形、鑢目勝手上がり、目釘孔1つ開く。表裏ともに鎬筋を中心に楷書体に銘を刻む。正幸(1733-1818)は、通称伊地知次右衛門、安永元年(1772)より作刀を始め、初銘 は祖父・父と同様正良と称し、薩摩藩のお抱え工となった。寛政元年(1789)には伯耆守を受領し、正良の名 を嫡男に譲り、自らは正幸と改銘した。平肉豊かにつき、地刃、茎ともに健全で、正幸の代表的な作品として評価しうる。薩摩藩を代表する刀工の円熟期の在銘作である。薩摩藩主島津家伝来。
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