オーストリアの高名な外科医であるプレンク(1735-1807)の肖像画。江戸時代に日本にもたらされた洋書の挿図を参照して、水墨を用いて陰影を表わし、部分的に金泥も施して髪の毛や肌、衣服の立体感や質感を描き分ける。人物の下方にはオランダ語が記され、最初の行には像主の名前「JOSEPH JACOB PLNCK」が、一番下には作者・石川大浪(1765-1817)のモノグラム「iSiKAWA」が朱書きされる。大浪は江戸時代を代表する洋風画家で、杉田玄白(1733-1817)ら蘭学者と盛んに交流し、大槻玄沢(1757-1827)の蘭医書に挿絵を描いたことでも知られる。江戸時代の文化交流における西洋文化の受容を伝える好例である。
オーストリアの高名な外科医であるプレンク(1735-1807)の肖像画。江戸時代に日本にもたらされた洋書の挿図を参照して、水墨を用いて陰影を表わし、部分的に金泥も施して髪の毛や肌、衣服の立体感や質感を描き分ける。人物の下方にはオランダ語が記され、最初の行には像主の名前「JOSEPH JACOB PLNCK」が、一番下には作者・石川大浪(1765-1817)のモノグラム「iSiKAWA」が朱書きされる。大浪は江戸時代を代表する洋風画家で、杉田玄白(1733-1817)ら蘭学者と盛んに交流し、大槻玄沢(1757-1827)の蘭医書に挿絵を描いたことでも知られる。江戸時代の文化交流における西洋文化の受容を伝える好例である。
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