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ローマ教皇シクストゥス5世(1521-90、在位1585-90)にラテン文書秘書官として仕えた修辞学者、グイード・グアルティエーリ(Guido Gualtieri、1560-1636)が、ローマ教皇のもとに派遣された天正遣欧使節についてまとめた記録。本書は1586年にローマのフランチェスコ・ヅァンネッティ(Francesco Zannetti)という印刷業者が出版したものである。 天正遣欧使節に関する旅行記や年代記は、同時期または後世のものを含め、数多く残るが、早くにまとめられた記録として、使節がローマ教皇に謁見した1585年に刊行された『天正遣欧使節記』(原書1冊が重要文化財として東京国立博物館(P-12645)に残る)や、1586年に刊行された本書がある。前者が16頁の小冊子で、使節のヨーロッパでの動向を知らせる速報としての性格であるのに対し、本書は使節が日本を出発してから、ヨーロッパに到着、ローマ教皇に謁見し、諸侯に歓待を受け、リスボンを出発するまでの様子を記すもので、使節の動向を知る上で最も信頼できる記録とされる。 第11章のヴェネツィアの記述のなかで、使節来訪の記念として彼らの肖像画の制作が決定したことが記されるが、この肖像画の1枚が2014年に発見された「伊東マンショの肖像」(ドメニコ・ティントレット筆)と考えられている。ただし、ヴェネツィアを発ってパドヴァに到着した使節が、アブラハム・オルテリウス編『世界の舞台』とブラウン&ホーヘンベルフ編『世界都市図帳』を記念品として贈られたことについては記述がない。 天正遣欧使節の訪問地には、使節に関する一次史料はほとんど残っておらず、使節の足跡を追うには旅行記や年代記に依拠することになるが、そのなかでも使節のローマ訪問から時間が経っておらず、かつ使節の動向を網羅的にまとめている本書は、天正遣欧使節という日欧交流の重要な出来事を説明する上で必要な資料である。
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ローマ教皇シクストゥス5世(1521-90、在位1585-90)にラテン文書秘書官として仕えた修辞学者、グイード・グアルティエーリ(Guido Gualtieri、1560-1636)が、ローマ教皇のもとに派遣された天正遣欧使節についてまとめた記録。本書は1586年にローマのフランチェスコ・ヅァンネッティ(Francesco Zannetti)という印刷業者が出版したものである。
天正遣欧使節に関する旅行記や年代記は、同時期または後世のものを含め、数多く残るが、早くにまとめられた記録として、使節がローマ教皇に謁見した1585年に刊行された『天正遣欧使節記』(原書1冊が重要文化財として東京国立博物館(P-12645)に残る)や、1586年に刊行された本書がある。前者が16頁の小冊子で、使節のヨーロッパでの動向を知らせる速報としての性格であるのに対し、本書は使節が日本を出発してから、ヨーロッパに到着、ローマ教皇に謁見し、諸侯に歓待を受け、リスボンを出発するまでの様子を記すもので、使節の動向を知る上で最も信頼できる記録とされる。
第11章のヴェネツィアの記述のなかで、使節来訪の記念として彼らの肖像画の制作が決定したことが記されるが、この肖像画の1枚が2014年に発見された「伊東マンショの肖像」(ドメニコ・ティントレット筆)と考えられている。ただし、ヴェネツィアを発ってパドヴァに到着した使節が、アブラハム・オルテリウス編『世界の舞台』とブラウン&ホーヘンベルフ編『世界都市図帳』を記念品として贈られたことについては記述がない。
天正遣欧使節の訪問地には、使節に関する一次史料はほとんど残っておらず、使節の足跡を追うには旅行記や年代記に依拠することになるが、そのなかでも使節のローマ訪問から時間が経っておらず、かつ使節の動向を網羅的にまとめている本書は、天正遣欧使節という日欧交流の重要な出来事を説明する上で必要な資料である。
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