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本作品は天正20年(1592)、宗義智(1568~1615)に宛てて出された豊臣秀吉(1537~98)の朱印状。6月3日付。朝鮮に派遣される代官7人に通訳を1人ずつ帯同させることを命じる内容である。「文禄の役」において、漢城(ソウル)陥落後、秀吉の朝鮮統治の方針を示すものである。本朱印状は、義智に宛てられたことから、宗家に伝来したと考えられるが、研究史上、原文書の所在は不明とされてきた。明治時代の史料集に掲載されており、書写されたことは分かっていたが、その後散逸したと見られ、長らく所在が不明であった。編纂史料でのみ存在が知られていた重要史料の原文書として、本朱印状は非常に価値が高い。
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本作品は天正20年(1592)、宗義智(1568~1615)に宛てて出された豊臣秀吉(1537~98)の朱印状。6月3日付。朝鮮に派遣される代官7人に通訳を1人ずつ帯同させることを命じる内容である。「文禄の役」において、漢城(ソウル)陥落後、秀吉の朝鮮統治の方針を示すものである。本朱印状は、義智に宛てられたことから、宗家に伝来したと考えられるが、研究史上、原文書の所在は不明とされてきた。明治時代の史料集に掲載されており、書写されたことは分かっていたが、その後散逸したと見られ、長らく所在が不明であった。編纂史料でのみ存在が知られていた重要史料の原文書として、本朱印状は非常に価値が高い。
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