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ゆかりの地をゆく|江戸屋敷と蔵屋敷
長崎
現在地:長崎県長崎市銅座町
正保4年(1647)6月、ポルトガル船2隻が長崎沖に来航した。幕府は馬場利重、日根野吉明、高力忠房のもと西日本の諸藩から5万もの軍勢を動員させポルトガル船を退去させたが、事件後、福岡藩と佐賀藩の長崎警備は一段と強化された。更に、長崎奉行所と近隣諸藩との関係を密にするために、各藩は蔵屋敷を長崎に設け、
ポルトガル船来航以降置かれた蔵屋敷の内、対馬他5藩は聞役を蔵屋敷に常駐させた。記録によると、対馬藩の蔵屋敷は元禄17年(1704)頃は本紺屋町にあり、東築町に移転したのは嘉永5年(1852)頃のことである。
また、対馬以外の日本各地に漂着した朝鮮人は、長崎奉行所で取り調べを受け、その後対馬の府中まで護送され朝鮮へ帰国した。長崎の対馬藩蔵屋敷はその中継地としての役割も担っていた。
参考文献
- 長崎市立博物館編『長崎学ハンドブック? 長崎の史跡(南部編)』長崎市立博物館、2002年