九州国立博物館の文化交流展示室では、対馬宗家文書の展示コーナーを常設している。「対馬宗家の図書と木印」「対馬宗家文書の世界」の2コーナーで展示している。文書に使われている紙は、長期間展示できないので、約6週間から8週間で展示替をする。以下主な資料を紹介する。


- 位記と宣旨 江戸時代
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朝廷から対馬藩主に出されたおり、従四位下など叙位の場合は位記、対馬守、侍従など任官の場合は宣旨となる。
(画像上位記、下宣旨)

- 口宣案 江戸時代
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朝廷から対馬藩主に出された叙位、任官に関する文書。通常リサイクルした薄墨色の宿紙が使われる。

- 図書 室町時代
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図書とは朝鮮国が日本からの渡航者に通交を許可する証として与えた銅印。これらの図書が宗家に残っていたのは、様々な名義の朝鮮通交権が宗家に集中したためである。

- 木印 室町時代
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対馬宗氏は朝鮮との貿易を拡大するため、さかんに偽物の使節を作って送り込んだ。その使節に持たせる外交文書に捺すための印鑑。偽造木印は朝鮮国王「為政以徳」、足利将軍「徳有隣」、日明貿易「通信符」などがある。

- 偽造木印「?有鄰」 室町時代
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室町将軍が朝鮮・琉球向け外交文書に使った「?有鄰」の偽造木印も含まれる。対馬が偽日本国王使を仕立てていた何よりの証拠だ。

- 偽造木印「爲政以?」 室町時代
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朝鮮国王の外交文書用印鑑「爲政以?」の偽造木印。豊臣秀吉に宛てた国書に使われていたことが、朱の成分の一致から判明した。

- 対馬府中図屏風 江戸時代 1隻
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左の厳原港から右の桟原屋形まで、画面の下にあたる後山の頂上から対馬府中の城下町を鳥瞰したもの。街を行く人々の姿まで描かれている。

- 朝鮮通信使の詩巻 明暦元年 1巻
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徳川家綱の将軍就任を祝う明暦元年(1655)の朝鮮通信使三使官(正使・副使・従事官)が書いた漢詩。対馬にて宗義真に贈られた。

- 人形人参 正徳3年 1点
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正徳3年(1713)5月、対馬藩勘定所の人参掛で発見、平田隼人より藩主宗家に献上された。当時人の形をしたものは珍重され宝物帳にも記されている。


- 文書箱と巻子 江戸時代
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江戸幕府の将軍や老中から対馬藩主宗家に宛てた文書は、形を整え巻物にまとめられ、木箱に納め大切に保管した。
(画像上文書箱、下巻子)

- 朝鮮国の外交文書 朝鮮 万暦46年
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通朝鮮国の礼曹参議李命男が対馬藩主宗義成に宛て、出雲国美保関の漁船が欝陵島に漂着したので釜山から対馬への船で送るとある。

- 対馬藩主の図書 江戸時代 1点
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中世から続く朝鮮国の通交許可証「図書」。江戸時代に入っても対馬藩歴代の藩主に図書が渡された。

- 花押と印判 江戸時代
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江戸時代の大名は、記号風のサインである花押と印判の両方使用した。大量に文書を作成するため花押もスタンプ化した。

- 議状 寛政3年 1通
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老中松平定信が、これまで江戸で実施していた朝鮮と日本の国書交換を対馬で行うよう依頼した文書。対馬藩を通じて朝鮮国へ送られたが、受領されなかった。引き続き交渉は続き、文化8年最後の通信使が派遣され、対馬で国書の交換が行われた。

- 免状 天保13年 1通
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蹴鞠は、鎌倉時代初めに難波と飛鳥井の両派が成立した。飛鳥井家は鎌倉時代前期、藤原北家から出た難波頼経の子、雅経に始まり、代々和歌・蹴鞠の師範を家業とした。この史料は天保13年に飛鳥井雅光から14代藩主宗義和に対して渡された免状である。天保13年というのは13代藩主義章が家督を譲り、義和が14代藩主となった直後のことである。おそらくは、侍従となった義和が教養として蹴鞠を習ったものかと思われる。

- 東莱府からの文書 江戸時代
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日朝外交や貿易の実務は、対馬藩と釜山の東莱(トンネ)府との間で行われていた。対馬からの交易船に関する内容が多い。


- 絵の具箱、顔料ほか 江戸〜明治時代
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絵の具の大部分は顔料と呼ばれる鉱物を細かく砕いたもので、同じ鉱物から得られた顔料でも粒子の大きさによって色調が変化する。
また、絵の具箱の中には竹の先に鯛のものと思われる牙をはめ込んだ道具が入っており、絵に用いた金泥を磨いて光沢を出すために使用されたと思われる。